思いの外に好評を頂いて恐縮です!!どらいこ会です
思いのほか、好評を頂いてびっくりしています!
最初にこちらの動画をご覧いただければと思います!
最初に、およそ3か月ほど山に入っていたので写真がめちゃくちゃ多いです!
そして動画からのキャプチャも多用していますので画質がよくないのがあります。
探索日毎に見やすいように折りたたんでおりますのでご容赦ください。
「かなりやばい集落見つけた」というタイトルで廃墟探索の関連で見に来られた方は少々肩透かしをくらったことと思います。
これは元々、2000年に2chのオカルト板でたてられたスレ名で
マウンテンバイクというスレ主が椿山をサイクリングしていたところ、道なき道を行って集落やお墓、道端な捨てられた着物を見つけて住民に襲われて帰るという話なんですね。
有名な話らしく、SIRENの元ネタとも言われてます。
実際、今は残念ながら見れなくなってしまいましたがSIREN公式サイトに主人公である須田恭也が掲示板に「集落探しに行ってくる」と書き込んだ掲示板が再現されてました。
ただ似たようなオカ話に「犬鳴峠」や「巨頭オ」などそちらは実際に探索しに行った方やYouTuberはいらっしゃるのに、この「かなりやばい集落見つけた」は具体的な知名や行き方が掲示されてるのにも関わらず、スレ内の探索隊を最後に誰も探索してないんですよね。
やっぱりあるかもわからない物を探すなんていう途方もない事しませんよね
今年になってゆっくりに読ませるオカルト話系の動画でこの「かなりやばい集落見つけた」が立て続けに公開されまして、これは何かの縁だと思い、誰も探索してねーなら俺らがやります!!!と8月に探索を開始した次第でございます。
予定ではせっかくSIRENの元ネタならSIREN異界入りに合わせて動画公開しようかと思いったんですが調べたら異界入りは8月3日で掠りもしませんでしたね。
とりあえず詳しい話はスレのログや動画を追ってもらうことにしてここでは簡単に流れを説明させていただきます。
マウンテンバイク氏の証言をまとめてみますと
椿山から北郷方面にサイクリングをしていた。
川を越えて、川沿いに進む道を通った
電信柱も無くなってくる
川が途切れてる
獣道に入っていく
左手に入れる小道に入る
二股の分岐に指し当たる
片方には立ち入り禁止の看板
└こちらの方に進むと「工事完了予定昭和65年」と書いてある杭とお墓がある
なにもない方に進むと道の脇に着物が捨てられてあり、さらに進むと集落が5軒
└山沿いに1軒
廃墟と言うにはそれほど倒壊しておらず、人が住めるレベル
集落内でお婆ちゃん2人、60代ぐらいの男性1人と遭遇する
逃げる際に友人が逃げ遅れて詰め寄られてPTSDを発症する
後日、2度3度とマウンテンバイク氏単独で集落を訪れる
山沿いに一軒、建物があり裏は下りの階段で、下に小屋と溜め池がある。
└この小屋は廃屋と言えるほどボロボロ
溜め池にはブルーシートが沈められていた。
その山は「家一郷山」と呼ぶらしい
尚、いるか岬からも行けるらしい
と集落にたどり着く過程から集落の模様はこんな感じ。
全部が全部、本当の話だとは思っていませんがそれを言い出したら元も子もないので
これらを地図に当てはめていくとこうなる。

西側の家一郷山谷方面と東側の家一郷山周辺に川沿いに続く道が見受けられる
そしてマウンテンバイク氏が聞いたという話ではその山は「家一郷山」と聞いたとあったが
具体的に「あの山はこの川が境界だからそっちまで行くと花切山、あぁそっちは岩壺山じゃ」なんて具体的に説明できるわけないのである程度、探索範囲を「家一郷山」だけじゃなくその周辺の家一郷山谷辺りまで広げる必要があると思い計画を立てました。
というわけで探索1日目から2日目は椿山から北郷に下って川を越えて右手の川沿いを進む道を探索しました。

マウンテンバイク氏の話とも一致して見映えもわかりやすかったのでOPとEDもこの場所で撮りました

とりあえず詳しい話はさておいて川沿いに川が無くなるぐらいまで歩きましょう。

途中で川が分岐し、橋が架けられていました、がマウンテンバイク氏の証言の中に「橋を渡って…」みたいな供述は無かったので今回はまっすぐ行くことにします
なるべく川から反れないように反れないように

そのすぐ近くに伐採業者が開拓したであろう山道があったのでこの道を進んでいきます。

川沿いに進めそうな道が左側にありましたが、藪が深くてさすがに進めませんでした。これが20年の重み……!。

次第に登っていくことに違和感を感じて見下ろした先に道を発見したのでそちらの方に行きます。

倒木や腐葉土でどこを踏み抜いてもおかしくないので慎重に降りて行きます。

道に出て少し歩くと立ち入り禁止のテープが!!
我々はとうとう発見したのだ!!

しかしマウンテンバイク氏は「立ち入りを禁ず」と何て書いてるまで指定していたので残念ながらこれは林業かなにかのテープなんだろうなと先を進みました。

すると大きな岩が中央に鎮座する分岐に当たりました。
立ち入り禁止の看板は無いが、マウンテンバイク氏も二回目訪れた際には看板はなくなってると証言していましたし
とりあえずどちらかの道に行けば何かあるらしいので進みます

右側の道を進んでいくとニーロが黄色い杭を見つけました
これが昭和65年と書かれた杭か!?と言ってますがもちろん違います

景色が開けた場所に出ましたが伐採で開けた場所っぽいですね
さすがにこの先を進むと肝心の家一郷山から離れてしまうので違うと踏んで引き返しました。
8月にこの開けた場所は日差しが強くて参りますね

そして左側の道を進んでいきます。

しかし歩けど歩けど近づいてるのか遠ざかってるのかもわからない憂鬱なハイキングが続くばかりで

そしていよいよ県道28号線に通じる道と三文字山に通じる分岐に差し当たり、川も確かに無くなったが流石に違う感じがしたので戻ることにしました

そして戻る際に無理やり下って合流した道が山に続いているのでこの道を辿ってみることにしました。
イメージでは、行きで藪に阻まれ断念した道に通じてるんじゃないかと思い進んでいきました。

途中でイノシシの親子と遭遇……つってテンション上げたけどサルっぽい感じがしますね

地図を頼りに現在地を確認しながら進むとこの名前もわからない山の中腹をぐるっと回るように進んでいます
となると、地図の感じで最初に見つけた橋の先と合流するのであれば探索が短縮されるねやったね!と軽い気持ちが進んでいきました
が中腹を延々と回っていくだけで一向に下って行かないことに違和感を覚えたのはニーロ隊長でした。

日が暮れての山道は避けたかったため、帰りの時間も考え撤退することにしました

この日の晩飯は、慶珉 清武店で頂きました
なんかニーロくんはザルラーメンっての頼んでましたけどご満悦でした
翌週に2日目の探索を開始します。

2日目は1日目で違うと二人して決断した橋の先を進んでいきます。
我々の作戦は、しらみつぶし作戦一択なので仕方ないね

川沿いに歩いているとズボンのような着(る)物が落ちてました

さらに進んでいくとコンクリートの橋などは出てくるものの決壊していたり険しい道のりです

時には川まで降りて迂回しなければいけない場合もあってなかなかスリリングな2日目。動画ではほぼほぼカットでしたが

道中、浮き輪の破片が落ちていたり人の痕跡はこんな所にも残っているんですね

そして進んでいく開けた場所に出ました
そこの土砂崩れに立ち入り禁止の看板が埋まっていました
20年の重みで全く抜けませんでした。重み感じますね
しかし、「立ち入りを禁ず」でもなければそもそも川の横っていうね

先を進みます。

すると川を挟んで不自然な窪みを見つけました
カタコンペか!?なんてワイワイ言いながら近づいてみると、

恐らく炭焼き窯だと思う窪みだと思います。
この辺り……とくくるには若干、距離があるんですが県道27号線をの山仮屋隧道周辺は、飫肥街道と呼ばれ歴史の道100選に入っている歴史に触れられる街道なんですね
その名所の一つに炭焼き窯跡っていうのがありまして、この周辺の人々はかつて炭焼きを生業として暮らしていたっていう話なんですな
我々の見つけた謎の窪みも恐らく当時の人々の炭焼き窯なんじゃないかと思います
かなりやばい集落の住民が炭焼きしていたのかどうかはわかりませんが

先を進みます

ところどころ土砂崩れや経年劣化で道が無くなっていても無理やり進んでみるとまた道が出てくるっていうのを繰り返して進んでいきます。

僕が古い木を倒すと同時にその周辺に巣を作っていた蜂が臨戦態勢に入り、後ろに続いていた欠伸をかますニーロを襲うハプニングもありました。
くれぐれも気を引き締めて探索にあたって頂きたい!!
余談ですがあれから腫れも引いて何事もなかったそうです。よかったよかった

しかし炭焼き窯以降、道端に陶器の皿が落ちてたりするものの手がかりとなりえそうな物は発見できずある程度進んだところで引き返すことにしました

引き返したエリアでGPSも見ましたが地図上の道と若干、ズレている…?

そしてここまで椿山から西側を探索していたのだが実は、当時のスレで実際に探索に出た「ido探検隊」と呼ばれるコテハンが行ったルートがこの西側で
「写真どうり橋を渡った所から砂利道が川の上流に向かって平行して進んでいる。
また橋の手前にはキャンプ場の遊歩道のようなものが川の下流に向かって伸びていた」
「少し進んだところで道が二手に分かれている。
一方はまっすぐにやや上り勾配で続き、もう一方は白いガードレール付きの橋がかかり左の方へと続いている。」
当時の道と現在の道では状況が違うのかもしれないが似たような道を通っているはずなのに途中から供述が合わなくなるのが面白い。
巨大な岩がデーンと転がっているところで写真でも撮れればまた違った展開になったかも?

ただ聖書の予言スレに書かれていたっていうマウンテンバイク(と思われる)の書き込みで「idoさん達もいかれたようですが全然逆のほうですね。山から離れていく方向ですよその道は、、、」と書かれている。
と同じ書き込み内に「これは私のぽかなんですけどどなたかが指摘していたとおり、最初の私の書き込みでは説明不足ですし明らかに誤り
もありあの説明では集落にいくことはできないと思います。」と書かれているのが気になるがこの際、無視することにした。

今日の飯はラーメン勇駒で味噌バターラーメン。
ラーメン屋で食べる味噌ラーメンは初めてだけどサッポロ一番味噌ラーメンってちゃんと作ってるんだすげぇってなった。
そして探索3日目は、先ほどの「山から離れていく道」という部分に着目し、家一郷山近辺をちゃんと探索してみるコトが大事だと思いプランを練りました。
練りましたつっても家一郷山近辺の歩ける道全部行こう!ってだけですが

というわけで宮崎自然休養林の石碑がドーンと置いてある道から家一郷山へアプローチを仕掛けることにしました

ただこの日は生憎の雨で、しかもかなりの土砂降りだったんです。
どっちかがなんとなく今日は中止にしない?って言うのを期待してたんですが僕も言いませんでしたしニーロも言いませんでした。
なので雨の中の探索でございます
つっても雨の中の登山は危険なのでいつでも撤収!と言える気持ちで探索開始しました

1日目、2日目で探索したエリアだと「電信柱が無くなる」っていう供述がそもそも無視されることになっていたので今回の道は電信柱があるのでやっぱり信ぴょう性が上がった気がします。

橋を超えると分岐に出ます。
こちらの分岐、アスファルト沿いに行くと
宮崎最古のトンネルこと山仮屋隧道というトンネルに行くことができます。
どらいこ会でも取り上げたことがあるので良ければご覧ください。
今回は、山仮屋隧道に用はないのでスルーします。

こういう道でも轍がしっかり残ってる辺り、人の出入りがチラホラあるんでしょうね

しばらく進むと左手に橋が見えてきます。
橋の先も気になりますがとりあえず岩壺山方面へ向かいましょう

こちらの道も土砂崩れで道が崩壊しており、進むのに気を使います

そして左手に小道のような道が現れます。
電信柱もなくなり獣道になり、左手の道というマウンテンバイク氏が示した情報と重なる部分が多く期待が上がります。
ただ川から反れるというより川に近づいてしまうんですが……
とりあえず頭に留めておいて先を急ぎます。

しばらく進むと規制線と立ち入り禁止の標識が落ちてました
立ち入り禁止…どこにでもあるな

雨も降る気配が無くなったのでもはやサウナスーツと化したカッパを脱ぎました

ため池のような池が現れました
ブルーシートでも落ちていればもっとネタ的に盛り上がったんでしょうが濁りすぎて何も見えませんでした

うんざりすぎる山道を歩いていくと大き目の丁字路に出ました
ただこの右手の道は道というには続いておらず、待避所のような広場だったのでしょうか?

そして更に進むと、今までの道の広さから考えると大きく道が落ちてしまったかのような狭さになってしまいました。
連日の雨を考えると滑るor崩れる危険性があったのでこの日の探索はここまでとしました。

そして戻り際に左手に入る道を少し見てみることにしたのですが
やはり連日の雨と今日の大雨で川は増水。残念ながらここで撤退しました。
ここで2012年に謎の集落と道端の着物を見たことがあるという情報を頂きました。
まだ「かなりやばい集落」が存在すると信じて疑わない我々に希望の光を強くもたらしてくれました。

なんと当時の情景を絵にしていただきました
ほんと感謝の言葉を打ちすぎてうさん臭くなってしまってないか心配で心配で
まとめると
2012年ごろに家族である宿をカーナビにセットして日南海岸を走っていたそうです。
普通ならまっすぐ日南方面に南下していくはずなのですが、この日はなぜか山の方へとナビが示したそうです。
日南に入る辺りから山道に舵を取り、鬱蒼とした道に不安を覚えながら進んでいくと急に道が開け、道の脇に着物が広げられていたそうです。
そこから少し進むと人が住んでいる集落が見えてきたそうです。
脇には軽トラも停められており今でも(当時)生活をなされている感じがしたそうです。
ナビはまだ山奥へと道を案内していたのですが心細くなったので引き返して大きい道から宿へと再度向かったそうです。
立ち入り禁止の看板やお墓は見ていないと
ここまで情報を頂いてあの結果は悔いが残ってしまいました。
不甲斐ない…!
そして迎えた週末ですがこの日も雨でした。しかも大雨。
なぜ週末の日曜に限って雨が降るのか。
この日の探索は諦めて先日頂いた情報から日南海岸を走ってみることにしました。そして道中にあるいるか岬も見ておこうと
タイミング良くこの探索が始まる前にニーロくんが車を新車に乗り換えカーナビが新しくなってしまったので(前の車なら2013年ごろのカーナビ使ってた)代案として

動画には結局、(忘れて)入れず仕舞いでしたがナビplusというPSPのカーナビを使えばワンチャン、山に案内されるんじゃね?と試しましたが普通に日南海岸南下するルートばかり案内されました。そりゃそうか
もしかしたら割と日南海岸は台風で通行規制かかったりするのでそれに被ったんでしょうかね

いるか岬

そしてこれも動画に入れられなかったんですが(尺的に)、ナビの気持ちになった時に日南海岸から県道27、28号線に案内するならどこを使うのかと考えたら富戸から山に向かう道が北郷駅周辺に抜けられるっぽいので走ってみました。
まーー雨が凄いけど普通に抜けられたのでこの線はないかなとお蔵入りにしました。
うちのシューマッハを基準に考えるのはどうかなとも思うんですが

この日は、味噌ラーメン専門店の田所商店の味噌ラーメンをば
-9月18日
宮崎に甚大な被害をもたらした台風14号がやってきました
探索はもちろん延期。家一郷山を荒らした呪いだ!って喜んでるヤツもいました。
どらいこ会、自宅待機!
-9月24日
台風も開けて探索再開しよう!とかつてないほど意気込んで椿山へ向かうどらいこ会!

土砂崩れで通行止めされてました……。
台風の爪痕がここまでとは……
この日は、探索はお休みして神社巡りに行ったのですがそれは
こちらの記事で
なんとか天気も晴れ、交通規制も家一郷山に行けるとこまで解除されてました
1か月振りの探索です。

とりあえず前回の探索で行けなかった先を尾根伝いでもいいから進み、地図上の途切れてる先を目指す作戦で探索を開始しました。

道中で見つけた川が増水していた左手の道を探索しました

川の雰囲気がだいぶ違いますね
倒木や土砂で川がせき止められてますがその先に道らしきものを見つけたので進んでみます

コンクリートの道がすぐ無くなり荒れた道を歩いてきます。
ここまでくるとちょっとやそっとじゃ引き返しません

しばらく進むと川の上流に堰止めが設けられていました

登ってみましたが川が続く感じがするばかりで道という道がある風には見えませんでしたので戻って当初の予定した道を行きます。

ため池と思っていたところは川が増水して堰止めされていたんですね
この深さがほぼ埋まるって先日の大雨は酷かったんですね
ここでニーロが足を取られて木の枝の上に倒れるっていうあわや大怪我っていうやらかしをしました。
動画ではカットするには惜しかったので微妙なとこに入れてますが皆様もこういう道を歩く際は足元にお気をつけてください。

前回の探索で躊躇われた道の先を行くと道が落ちてしまっていました

なので斜面を経由して本来の道に合流しました

しばらく進むと道端に白い塊が落ちているのを発見しました

ジャケットが捨てられていました!
とうとう道の脇に着(る)物が!!!!
林業関係者が捨てたんでしょうかね?
さすがに着物とジャケットは間違えないだろということでまだ進むことにします

ストンと道が落ちてしまっています
かつてはどういう道だったんでしょうね

そして道の先に行く途中で白のズボンが木にかけられていました
先ほど見つけたジャケット合わせて上下揃いましたね!

雄大な自然と人工物との狭間をさ迷い歩くどらいこ会

道の脇に宮崎営林署の残した海一郷林道の石碑が置かれていました。
しかしひっくり返った状態になったのは土砂崩れで流れてしまったんでしょうか

土砂崩れで道が埋まり斜面に沿って歩けば行けないこともないんですが帰りを考えて根がしっかりしてる気にロープをくくりつけて進むことにしました
怪我しないことが第一なので

かなり歩くといよいよ地図上の端まで到達したんですが道がストーンと無くなっていました
端まで行けばなんだかんだ獣道みたいなのが続いてると思ったんですが完全に打ち止めです……。

ニ「いや、我々はここまで踏破したんだよ」
すべては「ここまでは地図上で細い道として残っている」というマウンテンバイク氏の妄言を信じたばっかりに

一応、まだ進めないか尾根に上がってみましたが完璧に遭難する未来しか見えなかったので泣く泣く断念し、撤退しました。

帰り際にニーロが尾根伝いに通った反対側拝もうぜと言い出したので行ってみました
すると道の脇に手作り感満載のハシゴが立てかけられていました

業者が使うにはおざなりな造りだし、長さを考えるとこの場面でどこで使うんだと疑問しか浮かばないこのハシゴ
一体、だれがなんのためにここまで持ってきたんでしょうか

この日は、先日の橋の先を行ってみることにしました
ここは今までより倒木が多く、また藪が深いためかなり困難な道です

それでも頑張って進めば道が開けた経験から希望をもって進んでいきますが行けども行けども藪が晴れません

そしていよいよ道が途絶え、その上に倒木が折り重なっており簡単には進めなくなったので撤退。
この穴をくぐれば…と思ったけどケガする危険性があるので……
家一郷山に入って2時間足らずで帰宅するのもなんなのでまたまた日南海岸に行き、着物を干す集落を探索してみようと思いました。

今回は地図上で日南海岸から家一郷山に一番近づけるであろう内海地区を辿ってみることに

台風被害の爪痕が残るものの割と奥まで進めてしまう
道中には隠れ家的宿もありました。

奥まで行くと集落がありましたが思いっきり普通に人が生活していたので動画内では伏せましたが、内海清流ヴィレッジという集落もありました。

その先に道が続いているので歩いて行ってみることにしました
家一郷山に近づけるというだけで登ってます

開けた場所からは日南海岸を眺めることができました
山にいながら海が見れるなんて贅沢ですね

鬱蒼とするドイツを彷彿とさせる森を抜け
わかってはいたけど集落も何もありませんね
特に見どころもないままかな~り山道を進んでいくと開けた分岐に出ました
ここでニーロが足元にとある石を発見します。

それがこの石なんですが、ラッカー塗料で塗られたように思えるこのマークは林業関係のマークなんでしょうか?
それにしては足元に転がしておくと発見されないように思えますし
ここまできて意図が読めない物を見つけてご満悦なニーロ隊長

ここからしばらく歩きましたがさすがに日暮れに差し掛かり引き返すことにしました。

もう帰りは真っ暗です
-10月16日。探索お休み
この日は、ニーロ隊長が狭心症みたいな症状を発症したから大事をとって休むとの連絡が。

後日、検査するも特に異常は無いらしく疲れが出たと医者に言われたそう。
疲れるようなことなんかしたのか?あいつ
1週間様子見したけど症状が出ることなかったので我々は再び家一郷山へと探索に出た。

今回は花切山の登山ルートを通りながら家一郷山の北から東側を当たることに

加江田渓谷へ繋がる自然遊歩道沿いに登山口入り口があるんですが
油断すると足元に転がってるこの看板を見逃してしまうので注意が必要です

我々は見逃したので危うく加江田渓谷まで行ってしまうところでした

左手にドツかれたような痛みが走ったんで原因を探ってみると
何か白いものがぶつかってますね。スカイフィッシュだと思ってます

なんとか無理やり斜面を登り花切山登山道へ入ることができました

そしてまっすぐ花切山を目指してしまうと家一郷山から離れてしまうので滝コースと呼ばれる道を通ることで家一郷山沿いに進むことができます
滝ルートには鏡州万葉の滝と呼ばれる名所があるのでちゃんと道らしい道が整備されています

道らしい道が整備されているため橋にも注意書きもしてあります
(う回路はない)

道らしい道が整備されているため倒木も超えやすいよう溝も掘ってあります
(倒木をどかすことはしない)

道らしい道が整備されているため橋もあります
(安全に渡れる保証はない)

さすがに渡る度胸はない小心者なので降りられそうなとこにロープを引っかけて迂回して進みます

横から見ると橋の下に一本丸太が通してあるんですね!安心!

危険な橋を越えて進むと遠目から滝の音が聞こえてきました
ハシゴが立てかけてあるのでこれを下るといよいよ鏡州万葉の滝です

どーん!
これが鏡州万葉の滝です!
特に何m級とか表記はないので適当に書きますが500mの高さを誇る滝です!!
滝見に来たわけじゃねぇんだが
さらにこの滝から進むことが花切山登山道と合流して登頂を目指せるってわけです

しかしこの先から道が険しくなってしまうので足元には要注意です
ところどころロープが架けられているのでしっかりと握りながら進んでいきます

ロープを伝って斜面を登っていきますよー!
どらいこ会でこんな映像はいらないんだよー!

花切山頂上への案内板もちまちまと置かれており迷うことなく進めますね!

そしてお手軽に過酷な登山気分を味わいながら進んでいくと規制線が張られた場所に出ました

周辺を歩いてみるもピンクリボンも見当たらないためこで引き返すことにしました。
奥に土砂崩れの後があったんですが本来はここを辿っていくんでしょうか…。
ニ「花切山すら登れないのか俺たち」
帰りに都城にある台湾まぜそばのあらしというお店で晩飯
長かった、かなやば集落探索もいよいよ家一郷山の頂上を目指すしか無くなったことに一抹の寂しさを覚え、ここは日南海岸から伸びる脇道も色々と撮ろうという不思議な感情の末に内海地区と小内海の映像撮りをいたしました。
内海地区は前回行った際に映像を撮ってなかったので改めて撮り直し

そして小内海地区の方に行きました。
途中に二宮神社があったので参拝に。

クソコラ感

そして舗装された道も無くなり山道を進んでいく途中で踏み間違い検知システムが作動し、車で急ブレーキ
言うて、見どころが無かったので突如と現れたこのトラブルをあたかも心霊かのように扱いましたがニーロにもコメント欄でも突っ込みされましたね(笑

道が荒れてきたので車を降りて歩いてみましたが特に何もなかったので戻ることに。

これだけで帰るのも忍びなかったので動画には入れてませんがido探検隊が行ったであろうもう一つの道を探索してみました

恐らくこの椿山から下りてって二本目の川があるこの脇道だと思うんですよね

地図で見れば上手いこと進めれば花立山公園へ繋がる道に出ると思うんですよね

ただあまりに家一郷山から離れてるしで本当にここを探検したのであれば見当違いも甚だしい道ではありますが一応、一応の可能性は潰そうと入っていきました。

しかし道という道は入ってすぐ無くなってしまい、手の打ちようがなかったので川を登っていくことにしました

頑張って進むもろくに進めないまま探索断念しました
川の起伏と倒木と藪でなんなら一番過酷な感じありましたねここ
この日の飯は、ニーロが愛してやまなかった暖暮の跡地にできたラーメン屋さん「旨辛にんにくラーメン 鯱輪」
いよいよ家一郷山山頂を目指すことにしたどらいこ会
意気揚々と準備するも外部マイクの充電をしていなかったコトを思い出して
充電している間に飫肥街道にある炭焼き窯跡の写真撮りたいとニーロに伝えて先に飫肥街道の方に向かいました。
飫肥街道ってどこに車停めればいいんでしょうかね

なんとか広場に停めてひっそりと現れる入り口から進んでいきます

探索2日目でも少し話題にしましたが飫肥街道は歴史の道100選に選ばれた道で、江戸時代に飫肥藩主の参勤交代の際に利用された道
山仮屋隧道をはじめ、関所跡地や一里塚標など歴史に触れられる遺物が数多く残されている

なかなかの山道を進んでいると道の脇に衣服が捨てられていました
子供サイズにしか見えませんが柄が渋いのでお年寄りでしょうか?
これを見てニーロが「ここで撮るか」なんて戯けたコトを言い出したので一喝しておきました。

関所跡を見て

石仏を見て

そして炭焼き窯跡です
目的達成したのでさっさと車に戻って家一郷山登山しましょしましょ

戻る途中に犬が3匹仲良く散歩してましたけど脱走したんでしょうか?
そしていよいよ家一郷山の山頂を目指して登山します!

家一郷山は具体的な登山道が無いため、自然観察歩道に沿って進んでいき途中で尾根伝いに外れていくっていうルートを取るのが多分、一般的だと思います。
自然観察歩道はこの家一郷山の植物や動物を登山しながら嫌というほど観察できる遊歩道です。

ミニ展望台

はるか遠くに鰐塚山が見えます

道中、自然とはなんぞやという看板が設置されていますので登山しながらスタディしていると順路の矢印が多くでるポイントに出ます
ここから尾根伝いに歩いてきます

ピンクリボンを見失わないよう気を付けて進んでいきます
木々の根がしっかりしているのである程度安心して登ることができます

そして登りだすこと40分少々で家一郷山の山頂を踏破することができました!
437mは低山ではありますが我々には何とも言えない感慨深い登山になりました

そして一休みした後、下山します。
奇跡的に電波が通じたのでFGOでモルガン祭りのPUガチャを回したのですが見事にハズしました。

家一郷山はパワースポットにならねーなー
この日の飯は、一番美味いというレビューが目についた辛麺屋さん「麺屋つつみ」
もう辛麺はしばらくいいかな
この日をもって、「かなりやばい集落見つけた」探索の全工程を終了いたしました。
道があれば行ける限りの探索をしましたが当時の探検隊の残したレポに書かれてる物すら見つけられなかったのはかなり悔いが残る結果になってしまいました。
旧日本軍の墓とかどこにあんねん……。
20年前、今の我々でリアルタイムで追えていたのなら多分、探索に行ってますし、もしかしたら何か違う結果を残せたかもわかりません。
たらればの話をしてもしょうがないのですがそれだけ我々も残念だったです。
最後のやり残しということで、エンディングとサムネを撮影しに再び、家一郷山へと向かいました

エンディング撮影はニーロくんが迫真に頑張ってくれました
宮崎感出すために高千穂のシャツを前後逆にしてまで着て、走ってる最中にスマホを落としても拾うこともせず一心に最後まで走り切ってくれました!!
映り気にしてたけど君のパート白黒なんだすまん!!

立ち入り禁止の看板なんてそうそう都合よく出てくるわけもないのでならばいっそのこと自分で作るかと思い作成しました。
写真の右下に工具が移ってますがこの場で看板に釘打ちしたんですねーアホですねー
割とよく出来たと自負しています

そして着物も道端に散らして後編用のサムネに
奇しくも、前編は立ち入り禁止のテープや看板が多く見られたので立ち入り禁止の看板を前編に
後編に「着物を見た」という情報を持ってきたので着物の写真を後編
サムネに持ってきました。
そして再現映像もこの日にすべて撮って動画の完成へと至りました。
超真面目に着物を並べるひらかず
そんなこんなで動画を作って公開しましたらどらいこ会初の10万再生を突破し、多くの方にチャンネル登録もして頂きまして3か月山に入り浸ってたのが報われた気がします。
チャンネル登録、見ていただいた皆様ありがとうございます!
コメントでお褒めの言葉も多数頂き、かなり励みになりました。
そしてこれを見て僕ら以外のyoutuberが俺らが集落を見つけ出してやると動画を作ってくれるのを心待ちにしております。
あとマウンテンバイク氏の釣り宣言もお待ちしておりますので。
ほなねん
コメント欄にて
ここで補足説明させていただきます。
椿山を下って川沿いに進むルートで家一郷山方面に地図を見ると建物群が現れます。

マウンテンバイク氏の証言に建物の数から山沿いに立つ小屋まで見事ピタっと当てはまる建物群なんですが

ここは集落ではなく、椿山キャンプ場跡地なんです。
2017年ごろに閉鎖になったキャンプ場なので2000年頃にはバリバリ運営されているので流石に間違えないと思って今回の動画では完全スルーしました。
僕らもマウンテンバイク氏の証言にぴったりと当てはまりすぎて”ただ夜中のキャンプサイトに入ってきたキチ〇イ”というレッテルを貼りそうになりましたが流石にその一言で片づけてしまうのは忍びないと思いまして……。
もう一つ続けて言うならこのキャンプ場になる前は、家一郷山営林署というのが昭和47年頃まであったそうです
そしてキャンプ場駐車場跡地には鏡洲小学校 家一郷山分校の記念碑が建てられています
かつてこの周辺に暮らしていた明確な名残なんですが分校の閉校は昭和39年。営林署が昭和47年。
昭和が終わるまでおよそ16年。2000年が平成17年なのでおよそ30年の間、ここに住んでいたとは考えられないので今回の探索では可能性の線としては無いかなと思い取り上げませんでした。
尺的にも厳しい物があったんですけどね!
補足終わり!
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